相当久しぶりの投稿になります(汗)。
しかもかなり私的な記録という感じの強い内容になりますが、ここ2〜3ヶ月ほどの間考えてたことやなんかを記しておこうかなと、ふと思ったので書いておくことにします。
(今回の記事は内容が内容だけに、読んでくれた時かなり引いてしまう人がいるかもしれませんので最初に断っておくと(笑)、俺は一切の宗教組織とは全く関係ありませんし、カルト、神秘主義といったものにも全然興味ないです。占いすら興味ありません(笑)。)
さて、このサイトのタイトルにも入ってる
No Wall という言葉、自分の意識に上ってくる様々な「壁」はその都度消滅させてるつもりではありましたが、ここ数ヶ月ほどの間、そもそも「自我」とか「自分」とか「俺」とかいう意識自体が「壁」なんじゃないか?という思いがだんだん強くなってきてました。
そんな訳で仏教やなんかで言うところの「無我」とか「空」とかいうものへの興味が湧き、ネットとか本でいろいろ調べたりしてた訳です。
Wikipediaを見てみるだけでも色々と書かれてますが、いわゆる仏教の教えを特徴づける三つの考えとして三法印というものがあり、それは「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」であるらしいです。それは勘違いだ!と言われるかも知れませんが、あえて俺がそれらの言葉から考えたことを書いておくと、「世界(宇宙?)の何もかもは常に変化しているので不変のものというのは無く、我(自分)という意識はただの幻であり、悟りの状態(涅槃)というのは我(自分)という幻の消え去った静かな安らぎの境地(寂静)である」という意味なのかなと。
頭で考えて確かにそうかもな〜とは感じるものの、このことを何度考えてみても実際に「俺」という意識が消えることはありませんでした。
年末年始に1年ぶりで実家に帰った時、昔買って読んだ手塚治虫の「ブッダ」を全巻読み返したりもしたものの、頭の中のモヤモヤが晴れることは無く、、、
そんな中、ネットで読んでて考えさせられることの多かったクリシュナムルティという人の話した内容が気になってたので、正月休み明けに本屋でざっと立ち読みしてみた中で特に気になった「自我の終焉」「自己の変容」という2冊の本を買って読んでみました。未だにモヤモヤが晴れることはありませんが、「自我」というものが一体なんであるのかという事や「自我」がもたらす根本的な害悪について理解するための重要なヒントとなることが色々と詰まってた本だったとは思います。
今思うのは、「俺」という意識(自我の壁)が完全に消え去ることがあるとしたらどうなるんだろうな〜ということです。ま、その状態になった時じゃないと理解できないんでしょうし、そもそもその状態についてあれこれ想像したり結論付けようとすることは何の意味も無いんでしょう。むしろ考えれば考えるほど壁がより強固になってしまい、それは障害でしかないんだろうなと。
No Wallの極致、なんすかね?分かんねっす。
posted by コーキ at 02:14| 東京 |
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